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日本の庭園

円成寺研修

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奈良市忍辱山町にある真言宗の寺である。平安中期の万寿三年(一〇二六)命禅上人の開創。実範上人、寛遍僧正などが止住して隆盛をみたが、文正元年(一四六 六)の応仁の兵乱にかかり焼亡。その後再興し、江戸時代には家康の殊遇を得て一大霊場となった。幕末の動乱、明治維新の神仏分離以降の衰退をのりこえ聖域 を確保している。
庭園
仁平三年(一一五三)寛遍僧正の 時に伽藍の前に園池が掘られ、南門から池中の中島を経由する二本の橋を通って本堂に至る?池様式とされた。阿弥陀の極楽浄土にあるという阿弥陀宝池を表現 した浄土庭園の一例でもある。現在橋は失われているが、中島は残っている。また、池の北側に岩島のような岩組も残されているが古来のものであろうか。時代 は下るが籬島軒秋里著の大和名所図絵寛政三年(一七九一)には、池のやや北寄りに中島があり、朱塗りの反り橋が架かっている様子や、西側にある第二の中 島、池中にある幾つかの景石が描かれている。
また、北側池中には石臼型手水鉢がある。以前は底に穴を穿ち噴水として用いられていたようである。元弘三年(一三三三)の銘が刻まれているが模刻品らしく、実物は東京博物館梁瀬分館に移されたということである。
なお、明治初期に、伽藍地と苑池の間に池を埋めて県道が通され、美観を損ねていたところ、昭和三六年道路を庭園の南に移し、昭和五〇年発掘調査、昭和五一年に復元改修工事が森蘊氏の指導の元に行われている。
楼門
文正元年(一四六六)消失し、応仁二年(一四六八)再建される。三間二面入母屋桧皮葺で、総円柱にして、上下層とも肘木に木口がある和様三手先を用いる。上 層部は縁板を廻らしてあるが、勾欄も、扉も、連子窓もなく、朱塗も施されてない。そのため素朴な印象を受ける。なお、上層部は、大正五年に原形を留めない ほど破損していたが、当時の県技師天沼俊一氏の監督の下、下層に準じて設計、施工された。
操作なし しかし、下層には正、背面とも当初の花肘木が保存されている。正面には蓮唐草浮彫の中央、蓮華上の月輪に梵字?キリーク(阿弥陀如来)を刻み、背面には牡 丹唐草浮彫の中央、牡丹花上に宝珠を刻む。この花肘木は大仏様の皿斗の上に乗っており、花肘木上の斗もない。双斗から発展したといわれる花肘木が使われ出 した当時としては大変豊かで優れた意匠といえる。また、屋内では大仏様木鼻と像鼻に近い木鼻の二様の木鼻が併用されている点も興味深い。
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春日社・白山社本堂の東側石垣上に二棟続きの春日造の社殿がある。白山大権現・春日大明神を祀る円成寺の鎮守社である。鎌倉初期の安貞二年(一二二八)奈良春日大社造営の際、旧社殿を遷座したもので、全国で最も古い春日作り社殿として貴重であるところから、国宝に指定されている。
細部では、脚の踏ん張りや、肩の張りが力強い古式刳抜蟇股、おおらかな軒反等に着目した。小社ながら、細部意匠から全体のバランスに至るまで美が凝縮されている。

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仏像その他
大日如来座像は、運慶直筆の銘を持つ最初期作として名高く、国宝に指定されている。近年建てられた多宝塔の本尊として安置されている。智拳印を結んだ結んだ姿は、若々しい力を感じさせる。
その他印象に残ったのは、勧請縄と呼ばれる珍しい形をしたしめ縄である。東の入り口に吊されていて、神仏をお迎えして、五穀豊穣、家庭円満を願う村人の願いが込められているそうである。この地方独特の民俗資料である。

都塵を絶した自然の懐に抱かれ、心身が清められる様な情緒深い聖域の中に数々の文化遺産を持つ円成寺は大変印象深い。

 
 
掲載日:2010.03.22


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