日本の庭園
般若寺 (奈良市般若寺町221)
この寺は飛鳥時代に高句麗僧慧灌法師によって開かれた。その後、聖武天皇の時、平城京の鬼門鎮護のために堂塔を造営されたと伝えられる。
京都から奈良への要路に当たるため、源平の争乱に際し、平重衡の南都焼討にあい焼失したが、西大寺叡尊上人により、文殊菩薩の霊場として復興され、庶民 救済の文殊会を盛んに開くようになった。
十三重石塔
十三重石塔は、高さ十四・二m と巨大で、日本で二番目に大きい作である。一番大きいのは、宇治川浮島の十三重の塔で、叡尊上人の発願により、般若寺より三十年ほど後に造られた。般若寺 にある十三重塔の作者は、南宋国明州(漸江省寧波)の石工伊行末で、建長五年(一二五三)の造立。第一重を大きく造る のは中国式だとゆうことだが、高さの割りに安定感があるのはそのせいだろうか。各重には控えめだが軒反りがあり、天に向かってそびえ立つ感じを演出してい ると思う。第一、四、七、十層に経巻や金銅仏が納入されていたという。塔身の四方仏も繊細に線刻してあり美しく、よく保存されている。
地面に降ろされた相輪部分
相輪は落下、倒壊を避けるため、本物が地面に下ろしてある。現在上部に乗せられている相輪はセメント製の模作で、 色が違っている。そのおかげで本物の相輪を間近に見ることが出来た。九輪では、間の擦と呼ばれる部分が広く、しっかりと彫ってあるほど古式という傾向があ るそうだ。
椿山荘にある般若寺形石燈籠の本歌
つぎに石燈龍を見た。日本庭園研究会の例会でも何度か取り上げられ、現在般若寺にある石燈籠は、般若寺形石燈龍の 模刻品であることは周知のことである。
火袋の彫刻や格狭間が、東京都目白の椿山荘にある本歌燈龍とどれ程違うのか、拓本を使って比較しながら説明を受けた。確かに本歌の方が断然美しい。模 刻品は、相対的に太ったイメージになることが多いそうである。
本歌燈籠の火袋彫刻
笠塔婆
つぎに笠塔婆 を見学した。伊行末の子息行吉が亡き父の供養と、母の息災延命を願って建立したものである。南北に並ペて二基立てられており、弘長元年(一二六一)の作 で、高さ四・八m もあり、巨大である。笠の軒反りが真反りで美しく、鎌倉中期以前の様式である。また、北塔に阿弥陀三尊、南塔には釈迦三尊の梵字が彫ってあるが、とても力 強い字彫りである。何度か倒れたらしく、補修してあるが、その立ち様は行吉の願の大きさを示すように思える。
楼門
つぎに国宝に指定されている楼門を見学した。二重門の下重の屋根に代えて廻縁をめぐらすのが楼門の特徴である が、現存最古の楼門として知られる。下層は中央の柱を省いて桁行一間とし、上層は桁行三間となっている。
全体に横幅に対して高さをより強調していて、軒反りも大変美しく立派な門である。下層上部梁にある板蟇股等、和様の細部をよく示しているが、木鼻にはこ の地方の特色である大仏様の影響が見られる。