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日本の庭園

岩船寺研修

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京都府相楽郡加茂町にある真言律宗の寺である。奈良県との県境に位置する。浄瑠璃寺から北東に約一キロの山峡にあり、鄙びた山寺の佇まいである。
創建については明らかでないが、寺伝によれば天平元年(七二九)聖武天皇の発願により行基菩薩(六六八~七四九)がこの地に白山神社を建てたことに始ま る。さらに行基は岩船寺にほど近い鳴川に阿弥陀堂を営んだが、後に弘法大師空海がそこに善根寺を建立した。そして、空海の甥にあたる智泉大徳が、嵯峨天皇 の皇子の誕生を祈願して、善根寺の灌頂堂内に報恩院という一院を建立した。その後、皇孫誕生のこともあって弘仁四年(八一三)堂塔伽藍が整備され、後に岩 船寺となったと伝えられる。ただし、善根寺報恩院が岩船寺の前身であるという確証はない。
岩風呂
境内に至る石段の手前に置かれている。鎌倉時代作、花崗岩性、舟形で、深い水穴が穿たれており、立派である。人一人楽にはいることのできそうな水穴なので 現在の湯風呂と勘違いしそうになるが、会長のお話では、蒸風呂用の水を湛える設備であったということである。現在では石風呂を手水鉢に応用している例があ る。
五輪塔
山門の東脇にある。高さ約二.三五mで鎌倉後期の作、この地方の特色である複弁反花座を有する。笠の軒反には鎌倉末期的な堅さがみられるが、水輪には張り がある。保存状態がよく、均整のとれた安定感がある。昭和一三年に、寺から三〇〇m離れた北谷の墓地から移建されている。
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十三重石塔
本堂前の立派な古式壇上積基壇の上に据えられている高さ約五.三mの塔で、花崗岩性、鎌倉時代中期の作で完成された美しさがある。保存状態がよく、端正で 清楚な印象を受ける。塔身の四方には薬研彫で金剛界四仏を示す梵字が力強く刻まれている。この塔身の内部からは、水晶製の五輪塔が発見されている。相輪も 般若寺と同じく水烟付のもので、精巧に作られている。
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不動石龕
石龕とは石の逗子のことである。奥壁に火焔光背付不動明王を薄肉に浮き彫りして,前面左右に角石柱を立て、その上に寄棟造型式の雄大な笠石を架けて石龕と している。軒反は鎌倉末期の様式である。また、奥壁に銘文があり、応長二年初夏(四月)六日としているが、三月一六日には正和元年に改元されているので矛 盾がある。この矛盾は、それ以前に開眼日を予定して先に彫り終わってしまったことが原因であろう、というおもしろい経緯も伺った。
三重塔
寺伝によれば承和二年(八三五)創建、弘和二年(1382)の再建とされるが、昭和一八年の解体修理の際に二重目西側丸桁より嘉吉二年(一四四二)の銘が 発見され、建立年代が明らかになった。山を背に、東向きに建てられており、総高は一七.五mと三重塔の中では小ぶりである。和様を基調としているが、禅宗 様の拳鼻がみられる。拳鼻の意匠が二,三重で少し異なるのは室町時代の特色であるという。また、隅の大斗は皿斗となっている。そして、 各層の角にある尾垂木の上には邪鬼が潰されそうになって軒を懸命に支える姿が見える等特色ある細部を示す。内部は芯柱を二層で止めた形式とされる。
阿弥陀如来座像
欅の一木造で、像高二八四cmの大像である。像内部の墨書より、天慶九年(九四六)の作であることが判っている。平安初期彫刻(貞観彫刻)と藤原彫刻(定 朝様式)の過渡期にあたり、仏教彫刻史に於いて貴重な作とされる。

 
 
[ 2010年3月22日 ]

円成寺研修

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奈良市忍辱山町にある真言宗の寺である。平安中期の万寿三年(一〇二六)命禅上人の開創。実範上人、寛遍僧正などが止住して隆盛をみたが、文正元年(一四六 六)の応仁の兵乱にかかり焼亡。その後再興し、江戸時代には家康の殊遇を得て一大霊場となった。幕末の動乱、明治維新の神仏分離以降の衰退をのりこえ聖域 を確保している。
庭園
仁平三年(一一五三)寛遍僧正の 時に伽藍の前に園池が掘られ、南門から池中の中島を経由する二本の橋を通って本堂に至る?池様式とされた。阿弥陀の極楽浄土にあるという阿弥陀宝池を表現 した浄土庭園の一例でもある。現在橋は失われているが、中島は残っている。また、池の北側に岩島のような岩組も残されているが古来のものであろうか。時代 は下るが籬島軒秋里著の大和名所図絵寛政三年(一七九一)には、池のやや北寄りに中島があり、朱塗りの反り橋が架かっている様子や、西側にある第二の中 島、池中にある幾つかの景石が描かれている。
また、北側池中には石臼型手水鉢がある。以前は底に穴を穿ち噴水として用いられていたようである。元弘三年(一三三三)の銘が刻まれているが模刻品らしく、実物は東京博物館梁瀬分館に移されたということである。
なお、明治初期に、伽藍地と苑池の間に池を埋めて県道が通され、美観を損ねていたところ、昭和三六年道路を庭園の南に移し、昭和五〇年発掘調査、昭和五一年に復元改修工事が森蘊氏の指導の元に行われている。
楼門
文正元年(一四六六)消失し、応仁二年(一四六八)再建される。三間二面入母屋桧皮葺で、総円柱にして、上下層とも肘木に木口がある和様三手先を用いる。上 層部は縁板を廻らしてあるが、勾欄も、扉も、連子窓もなく、朱塗も施されてない。そのため素朴な印象を受ける。なお、上層部は、大正五年に原形を留めない ほど破損していたが、当時の県技師天沼俊一氏の監督の下、下層に準じて設計、施工された。
操作なし しかし、下層には正、背面とも当初の花肘木が保存されている。正面には蓮唐草浮彫の中央、蓮華上の月輪に梵字?キリーク(阿弥陀如来)を刻み、背面には牡 丹唐草浮彫の中央、牡丹花上に宝珠を刻む。この花肘木は大仏様の皿斗の上に乗っており、花肘木上の斗もない。双斗から発展したといわれる花肘木が使われ出 した当時としては大変豊かで優れた意匠といえる。また、屋内では大仏様木鼻と像鼻に近い木鼻の二様の木鼻が併用されている点も興味深い。
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春日社・白山社本堂の東側石垣上に二棟続きの春日造の社殿がある。白山大権現・春日大明神を祀る円成寺の鎮守社である。鎌倉初期の安貞二年(一二二八)奈良春日大社造営の際、旧社殿を遷座したもので、全国で最も古い春日作り社殿として貴重であるところから、国宝に指定されている。
細部では、脚の踏ん張りや、肩の張りが力強い古式刳抜蟇股、おおらかな軒反等に着目した。小社ながら、細部意匠から全体のバランスに至るまで美が凝縮されている。

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仏像その他
大日如来座像は、運慶直筆の銘を持つ最初期作として名高く、国宝に指定されている。近年建てられた多宝塔の本尊として安置されている。智拳印を結んだ結んだ姿は、若々しい力を感じさせる。
その他印象に残ったのは、勧請縄と呼ばれる珍しい形をしたしめ縄である。東の入り口に吊されていて、神仏をお迎えして、五穀豊穣、家庭円満を願う村人の願いが込められているそうである。この地方独特の民俗資料である。

都塵を絶した自然の懐に抱かれ、心身が清められる様な情緒深い聖域の中に数々の文化遺産を持つ円成寺は大変印象深い。

 
 
[ 2010年3月22日 ]


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